ドイツワインの足跡
   
 六千年前にコーカサス山脈のふもとグルジアで生まれたワインが、ローマ人達によってイタリアからドイツにもたらされたのが紀元前二百年ごろそのブドウはエルブリング種だろうとされています。現在でもモーゼル上流でエルブリング種はワインやゼクトを造る為栽培されています。

 ドイツの地で始めて栽培され、ワインが造られるようになった歴史をさかのぼって見ましょう。
       
 紀元二〜三世紀
ワイン皇帝とも呼ばれるプローブスによりモーゼル川流域を始め、バーデン、ヴュルテンベルグ地方にぶどう栽培が強く奨励されワインがドイツの地にも醸造されるようになった大変重要な時期です。モーゼル川沿いのノイマーゲンドーロンの村周辺で栽培されたのが始めです。
 
 五〜六世紀
民族移動により西ヨーロッパに於けるぶどう栽培は非常に衰退し、ほとんどの地方でワインは作られなくなりました。

これでドイツの地ではもうワインは作られなくなるのではと思われた時代です。
 
  八〜九世紀
フランク帝国のカール大帝により修道院や慈善院などの運営を考え、ぶどう栽培を奨励した。

フランケン地方はまさにこの大帝の力によって生まれたワイン生産地であり、現在でもその頃の慈善院であるビュルガーシュピタールやユリウスシュピタールが醸造所としてワイン栽培に力をいれています。
 
 十四〜十五世紀
ぶどう畑は現在栽培されている量の三倍にまでふくれあがりました。南はスイスとの国境にあるボーデン湖周辺まで北はベルリンより北のメッケルンブルグ州にまで達します。
この頃のドイツ人、一人あたりのワイン消費量は年間一五〇リットルと言われるほど水がわりに飲まれていました。
 
 十六〜十七世紀
三十年戦争の結果、国土は荒廃しバイエルン州を始め北部、東部、中部ドイツではぶどう栽培はされなくなりました。

貿易が盛んになり国外からコーヒーや紅茶などが輸入された事も大きな原因の一つです。
 
 十八世紀頃
ドイツワインは量から質へと大きく転換されていきます。栽培地も選びぬかれ河に沿った傾斜面などを利用し、ぶどうに最適な条件にあった土地だけに栽培されるようになりました。

 
 十九世紀頃

  1801
フランス人シャプタールにより補糖技術が広められ、太陽に恵まれなかった年にはアルコール分が上がらないため補糖され、より良いワインが生産されるようになりました。それまでは、気候の悪かった年のワインは水っぽい薄っぺらな味であったため、ワインに蜂蜜などを加えて飲まれていました。

現在でもヨーロッパ北部のワイン産地では天候の良くない年に限っては、この方法が許されています。
 
  1830
ドイツ人エクセレによる果糖比重計が発明され、モストの品質を測る単位としてエクスレ度が導入されます。ドイツで最初に作られたハーモニカも彼の手によるものだと言われています。
 
  1850
アメリカから持ち込まれたぶどうじらみ(フィロキセラ)により、ヨーロッパのワイン畑は大災害を被ります。抵抗力のあるアメリカ種の台木にヨーロッパ種をつぎ木することにより対処できるようになりました。つぎ木によりドイツのワインがより素晴らしい味を引き出す事ができるようになりました。
 
  1892
ドイツ最初のワイン法が施行されます。
 
 二十世紀
第一次、第二次世界対戦によりぶどう畑は史上最小の規模にまで減ってしまいますが、ドイツ人持ち前の勤勉さとパワーを持って大きく復旧されました。

現在では十万ヘクタールの栽培面積を誇り、世界各国にドイツのおいしいワインが輸出されています。